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[↓現代かな遣い版]

 八月も終はりに差し掛かつてなほも暑気が和らぐことはなく、今日も近所の小さな川などは干上がつてしまひさうなほどの日差しと気温が市中に満ちてゐた。

 私は奥の一番涼しい部屋で寝ころがり、団扇を仰ぎ仰ぎどうにか暑さをしのいでゐた。

 すぐそこの縁側などは太陽を真向から受けて、今にも焼け焦げ、燃え始めさうである。ついでに、それを見ているだけで己まで焼かれるやうな錯覚にも至り、それだけでも参つてしまふ。

 その時、不意に家内が足音もなく、ひよい、と障子から顔を出したので、咄嗟に身を起こし文机に向かふ、さも今まで仕事を続けてゐたかのやうに見せる。

 勘のよい女ならすぐさま気づいて窃笑でもするのだらうが、この妻は幸か不幸か少々魯鈍(ろどん)なたちで、それが私には時に煩はしく、時に愛敬づいた美点として映るのであつた。

 それで家内は、何を気にするでもなく、

「先ほど編集の佐藤さんがいらしつたけれど、今ちやうどお仕事中ですとお伝へしたら、お邪魔をしてはなんだからと言つて、“これ”だけ置いてお帰りになりました。こちら、差し入れですつて」

 私は一寸したばつの悪さから、顔をそちらにくれてやることもなく、

「そうか。ぢゃそこへ置いておいて呉れ」

 家内は素直に従い、またしづかに居間のはうへと戻つて行つた。

 しばらくし妻が行つたのを見計らつて、初めてそつとそちらへ視線を向けぎよつとする。

 それは新鮮な果物が盛られた籠だつた。しかも何やら見たこともない種のもの許り。恐らく遠来の品だらう、毒々しいほど鮮やかな色をしたもの、ごつゞゝと奇妙な形をしたものもある。きつと相当に高価だつたに違ひない。こんなものを置いていくからには、多分今日は原稿の催促などではなく、そのうち個人的な頼み事でもする算段でのことだつたのであらう。

 それより、こんな食物を、主人に言はれたからと言つてこの真夏の炎天下の縁側へそのまゝ置いておく家内の神経も如何なものか。が、あの女ならば仕方あるまいとも思つて了う己がゐる。

 私自身どういふ気の迷ひか、それをあへて涼しいところへはやらず、そのまゝ放置することにした。

 じりゞゝと焼き付ける油照りの中、当然時が経つに連れ、それらは次第に変易し始める。まだ青みを帯びてゐた黄色き果実は、恥じらふやうにほのかな赤みを見せ出す。瑞々しく弾けさうだつた陳皮が、段々と乾き、萎れ、生気を失つてゆく。まだ硬く歯ごたへがあつたはずの果肉はどれも、ずぶゞゞとたゞれ、一部はもはや粥のやうになる。

 鮮やかな色彩は茶色に濁り、更にそこを越へると、実際には未だ見たことはないものの、どす黒い幽世じみた色に染まつてくる。

――これは、人だ。

 と思つた。否違ふ、『死』。

 人の『死』と同じだ。

 まるで人の肉が腐り、爛壊して土に還つてゆくやうに、それらもまた熟み、糜爛し、うぢやけてゆく。――


 はつとして空を見あぐれば、とうに日は傾き、橙色の空では烏がカアヽヽと軽佻に啼いてゐる。

 涼しい風が、縁側をすり抜け私の両頬を掠つていつた。

 すつかり見入つて了つてゐたらしい。私は、たつたいま南柯(なんか)の夢から覚めた淳于棼(じゆんうふん)のごとく、ぽかんとしたまゝ、すでに食べられるところなどほとんどないそれを、改めて凝視する。

――『死』。

 その過程は、それへ向ふその姿は私にとつて『美』であつた。そして同時に、『法悦』と呼ぶべきものでもあつた。



現代かな遣い版

 八月も終わりに差し掛かってなおも暑気が和らぐことはなく、今日も近所の小さな川などは干上がってしまいそうなほどの日差しと気温が市中に満ちていた。

 私は奥の一番涼しい部屋で寝ころがり、団扇を仰ぎ仰ぎどうにか暑さをしのいでいた。

 すぐそこの縁側などは太陽を真っ向から受けて、今にも焼け焦げ、燃え始めそうである。ついでに、それを見ているだけで己まで焼かれるような錯覚にも至り、それだけでも参ってしまう。

 その時、ふいに家内が足音もなく、ひょいと障子から顔を出したので、とっさに身を起こし文机に向かう、さも今まで仕事を続けていたかのように見せる。

 勘のよい女なら、すぐさま気づいて窃笑でもするのだろうが、この妻は幸か不幸か少々魯鈍(ろどん)な性質で、それが私には時に煩わしく、時に愛敬づいた美点として映るのであった。

 それで家内は、何を気にするでもなく、

「先ほど編集の佐藤さんがいらしったけれど、今ちょうどお仕事中ですとお伝えしたら、お邪魔をしてはなんだからと言って、“これ”だけ置いてお帰りになりました。こちら、差し入れですって」

 私はちょっとしたばつの悪さから、顔をそちらにくれてやることもなく、

「そうか。じゃそこへ置いておいてくれ」

 家内は素直に従い、またしずかに居間のほうへと戻って行った。

 しばらくし妻が行ったのを見計らって、初めてそっとそちらへ視線を向けぎょっとする。

 それは、新鮮な果物が盛られた籠(かご)だった。しかも何やら見たこともない種のものばかり。恐らく遠来の品だろう、毒々しいほど鮮やかな色をしたもの、ごつごつと奇妙な形をしたものもある。きっと相当に高価だったに違いない。こんなものを置いていくからには、多分今日は原稿の催促などではなく、そのうち個人的な頼み事でもするつもりでのことだったのであろう。

 それより、こんな食物を、主人に言われたからと言ってこの真夏の炎天下の縁側へそのまま置いておく家内の神経もいかがなものか。が、あの女ならば仕方があるまいとも思ってしまう己(おのれ)がいる。

 私自身、どういう気の迷いか、それをあえて涼しいところへはやらず、そのまま放置することにした。

 じりじりと焼き付ける油照りの中、当然時が経つに連れ、それらは次第に変易し始める。まだ青みを帯びていた黄色い果実は、恥じらうようにほのかな赤みを見せ出す。瑞々しく弾けそうだった陳皮(ちんぴ)が、段々と乾き、萎れ、生気を失ってゆく。まだ硬く歯ごたえがあったはずの果肉はどれも、ずぶずぶとただれ、一部はもはや粥のようになる。

 鮮やかな色彩は茶色に濁り、更にそこを越えると、実際には未だ見たことはないものの、どす黒い幽世(かくりよ)じみた色に染まってくる。

――これは、人だ。

 と思った。

 いや違う、『死』。

 人の『死』と同じだ。

 まるで人の肉が腐り、爛壊(らんかい)して土に還ってゆくように、それらもまた熟み、糜爛(びらん)し、うじゃけてゆく。――


 はっとして空を見あげれば、とうに日は傾き、橙色の空では烏(からす)がカアカアと軽佻(けいちょう)に啼いている。

 涼しい風が、縁側をすり抜け私の両頬をかすっていった。

 すっかり見入ってしまっていたらしい。

 私は、たったいま南柯(なんか)の夢から覚めた淳于棼(じゅんうふん)のごとく、ぽかんとしたまま、すでに食べられるところなどほとんどないそれを、改めて凝視する。

――『死』。

 その過程は、それへ向かうその姿は私にとって『美』であった。

 そして同時に、『法悦』と呼ぶべきものでもあった。